大阪城と真田丸をめぐる旅 - 【2016年7月 関西の旅①】

旅行記

もう25年以上参加している異業種交流会
毎年1回、七夕の頃に開催される「全国の会」
今回は関西の主催。
初日は会合だが、2日目は開催地の周辺の観光を行なう。
今回は、NHK大河ドラマの舞台でもある大阪で、真田幸村の足跡をめぐるツアーとなった。

スタートはJR大阪城公園駅から、大阪城へ

大阪のシンボルでもある大阪城天守閣
行くのは久しぶりだ。
敷地は広く、天守閣まで駅から天守閣まで歩いて20分ほどかかったのでは。
久々にみる大阪城天守閣。
遠くからみるのちがい、こんなに金が強調されていた城だったのかと。
あらためて、当時の秀吉の力を感じさせる天守閣であった。

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天守閣を下ったところにある大きな岩の壁
こんな大きな岩をどうやってはこんだのだろう!!
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大阪城豊国神社には秀吉の像がある。
割りとイメージどおりの像であった。
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それにしても大阪城天守閣は外国人旅行者でいっぱい。
中国韓国のみならす、欧米人、中東っぽい人などいろいろ。
歩いていて外国でツアーに参加しているような気分でした。

大阪城からは玉造へ

大阪城を離れ、NHKの横をとおり玉造方面に向かう。

途中、聖マリア大聖堂に
こちらには細川ガラシアの像がある。
日曜日だったので中からは賛美歌が聴こえる
神聖な会合なので、ただの観光客は邪魔しないようにしないといけない。

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大聖堂を抜けて、玉造稲荷神社へ
豊臣・徳川時代を通じ「大坂城の鎮守神」として崇敬された由緒ある神社
お伊勢参りの際は道中安全の祈願に立ち寄った神社らしくこのような碑があった
公式サイトはこちら

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大阪夏の陣で大阪城の南側で戦った真田 信繫

信繫は大阪城の弱点は南側と気づき、その南側で戦ったそうだ

そのため、大阪城の南側に信繫ゆかりの地が多くある。
その最初が「三光神社」
公式サイトはこちらである。

境内はブームのせいか真田丸ののぼりがある
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そしてこちらには真田幸村こと信繁の像がある。
大河ドラマのイメージがあるが、いがいとずんぐりむっくりだった

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そして、像の横には抜け穴の入り口がある。
大阪城からここまで地下に抜け穴があったといわれているそうだ。
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真田 信繫の墓がある心眼寺

三光神社から5分ほど歩くと心眼寺
元和8年(1622)4月、白牟和尚が戦国武将真田幸村父子の冥福を祈り堂宇を建立した寺だそうだ
幕末見廻組の武士で坂本龍馬らを襲撃した桂早之助・渡邊吉太郎の墓もあるそうだ
こちらは大阪新四十八願所らしくHPはこちら

 

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そして、こちらが真田 幸村こと信繫の墓だ。

 

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地下鉄に乗って四天王寺へ

心眼寺から次の四天王寺まではちょっと距離がある。

我々は谷町九丁目まで歩き、一駅ではあるが地下鉄で「四天王寺前夕陽丘」まで移動することにした。
四天王寺は、夏の陣の際に、幸村こと真田 信繫がここに伏兵を置き、家臣の穴山 小助を自らの影武者として出陣させたと伝わる寺だ
寺の前には池がある。

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そして、何が面白いかというと、この池にいる亀の数がはんぱない
ここに写っているのは本の一部で池から顔を出して泳いでいるたくさんの亀を見るのは初めての体験であった
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さて、四天王寺を抜けるとちょっと面白そうなうどん屋がある。
今回はこの後新世界でくしカツを食べる予定なので、がまんしたが、一度来てみたい店だ

ツアー終盤は幸村が亡くなった場所へ

次に来たのは安居神社
幸村はここで亡くなったそうだ。
中には、碑と像がある。
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ここは入り口が狭くわかりにくいので、注意が必要である。
入っても奥まですすんでいかないとここにはたどり着かない。
そして最後は「一心寺」
徳川方・本多 忠朝の墓があるらしいが、それよりも近代的な屋根の下の像のインパクトが大きい寺であった。
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このツアーはここで終わった訳だが、他にもゆかりの地はあるらしい。
各所でも書かれていたが、真田幸村という名前が有名だが、当時は幸村といわれていなかったという説もあるらしい。
なので、このブログでは信繫という表現を頻繁につかってみた。
NHK大河ドラマがきっかけではあるが、ゆかりの地を見ることで今後のドラマのリアル感が増すように感じた。
今後が楽しみである。

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