本書の最初に書かれているのが、
この本は、文章をよりよく読むためにはどうすればいいかを述べたものです
ということです。
我々は文書を読んで理解したつもりであるが、本当に理解できているのかと言えば、そうでもないということが本書を読むと分かります。
本書では、いつくかの例題の文書があり、それを読んだ後に質問が続きます。
確かに読んだ時には理解したつもりであり、文書を読んでみて質問があるかと聞かれても
思いつかないくらい理解できていると思うレベル。
でも、質問には答えられないという不思議さ。
これはなんなんだ。
できてくる例文もほとんどが、小学校の教科書から取り上げたものです。
つまり平易に読める文書なのです。
本書では最初に小学校2年生の教科書から取り上げた「もし もし お母さん」という短い物語で始まります。
そして、質問です。
さて、皆さんは答えられるでしょうか。
こんな例題を通じて、我々は「わかったつもり」ということを理解するのです。
次の章では、「文脈」がわからないと「わからない」ということに気づかせてくれます。
ここでも例文が出てきます。一読するとまるでわからない文。けっして難しくて読めない訳ではありません。
ところが、この話は何についての話であるかをと聞くだけで、
例文が何について書かれているのか?どのようなシーンかが、すっと理解できるのである。
こちらも不思議な体験です。
私たちの中に存在するひとまとまりの知識をスキーマーと呼んでいます。
何の話かわからないということは、私たちがどの「スキーマー」を使えば良いのかわからないためだそうです。
そして、文書を読む際に、文脈がわからないと「スキーマ」の発動のしようがなく、文書を読んでも訳がわからないそうです。
このように、第1章、第2章では我々がなぜ文書を読んで「わかったつもり」になってしまうのかを体感させてくれます。
そして、第3章では「わかったつもり」についてより詳しく解説。
著者は「よりよくわかる」ための障害は、文書を「わからない」ことではなくて、文章を読んで「わかったつもり」になること
と言っています。
このあとは、小学校6年生の国語の教科書からの例文として、「正倉院とシルクロード」が取り上げられています。
読み終わると7つの質問が待っていますが、これが正しく応えられないのです。
読んでいて文章に疑問はないのですが、文書から何も得ていないことがよくわかります。
まさに「わかったつもり」になっているのです。
4章からは、「わかったつもり」の原因についての実験から、なぜ読者が「わかったつもりになるかを説明していきます。
そして、最後は「わかったつもり」からの脱出方法についての説明です。
ひとつは、自分は「わかっている」と思っているけど、「わかったつもり」の状態にあるのだと明確に認識しておくこと
もうひとつは、「わかっているつもり」自体を見極めるために、読んだ文書について、意識的に自分なりの「まとめ」をしてみることを薦めています。
本書で取り上げられる例文では、難しい文書はなく、ほとんどが小学生でも読める平易な文章です。
それでも、いざ質問がくると答えられない自分がいる。
そんなことに気付かされた本でした。
自分は読めているいると思う方も、一度本書で試してみてはいかがでしょうか。
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